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このページでは、私がインターネットビジネスに取り組むことになったきっかけ、そしてこれからどうなっていきたいのかということをお伝えしたいと思います。
大学入学と同時に目標喪失…
地方出身の私には東京に対して圧倒的な憧れがありました。
ライブや楽しそうなイベントなどほとんどが東京で行われていましたし、人も情報もすべてが集まるのは東京だという思いが昔からありました。そんな私はどうしても東京に住みたかったのです。高校生になるころには、東京に住むための一番の方法は東京の大学に進学することだ!と考えていました。
そして私は、「東京の大学に入れるならなんでもいい!」そう思って、勉強を続けていました。高校時代の私は東京の大学にいくこと以外を考えていませんでした。
特に高校3年生になってからは憧れの東京にいくために勉強に本格的に力を入れ始めます。
授業の始まる1時間前には学校に行き、授業が終わったあとも学校が閉まるまで自習室で勉強を続けていました。そして、休日には図書館にこもって1日中勉強をしました。
そのかいもあって、憧れの東京の大学に入学することができました。合格の確認をしたときのことは今でも覚えています。人生でもっとも達成感を味わった瞬間のひとつかもしれません。
しかし、大学に入ることが目的だった私は入学早々壁にぶつかります。
そう、完全に目標を見失ってしまったのです…。
大学に入ったらなにか新しい目標が見つかるだろうと軽く考えていましたが、目標といえるようなものは何も見つかりませんでした。
ですが、東京での新しい大学生活に「何か物足りなさ」を感じながらも私は満足をしてしまいます。興味のない授業を受けて、適当にバイトをして、新しくできた友達と遊んで、普通の大学生らしい毎日を送っていました。
このままじゃだめだと思いながらも、何もできないままあっという間に1年が過ぎようとしていました。
そんな自分を見かねてか、先輩がとある人を紹介してくれました。
その人は、先輩がイベントで知り合った方で、会社を経営している人らしいということ。その話から何かを感じた私は、なれないスーツを着て、その社長に会いに行きました。
2.人生を変える出会い
その社長が面会に指定してきた場所は、会社のある六本木でした。
一体どんな人が出てくるんだろう?
会社の経営などとは全く縁が無かった私は、50代か60代くらいの怖いおじさんが出てくるのではないかと内心ビクビクしながら、六本木へ向かう電車へ揺られます。
そしていよいよ六本木の街へ降り立ちました。
その瞬間、地方出身の私は六本木の洗練された空気に圧倒されてしまいます。当時の私にとって六本木はSF映画に出てくる未来都市のように映ったものです。
高いところから東京の街を見下ろし、眼前に東京タワーが迫るその場所に居ると、自分が何でもできる人間に思えてくるほどでした。
そして、いよいよ社長との対面の瞬間。
どんな強面が出てくるんだろう?怒られたらどうしようと考えていた私でしたが、出てきたのは非常に若々しく、30歳目前の非常に優しそうな方でした。
「え?この人が社長?」
自分の兄よりも少し年上くらいの社長を見て、私は思わずそんな事を思ってしまいました。私の中の社長のイメージとはあまりにも違い過ぎていたのです。
しかし、その後の話の中で私はいかに自分が浅い人間だったのかを思い知らされます。
「経営の目的は人を幸せにすること」
「人を幸せにするためには自分とその周りの人が幸せである必要がある。だから、会社全体が最高のチームであるべきだ」
などの社長の語る思いを聞くうちに私はすっかりと彼のファンになっていました。それと同時に、若いからと言って実力が無いという思い込みは、全く見当ハズレなものだと思い知らされたのです。
どうにかしてこの人のところで働きたい!学びたい!
いつまにか私の口からは自然と「かばん持ちでも何でもいいので、お手伝いさせてください。」という言葉が出ていました。
あらゆる場面をくぐり抜けてきた社長も、さすがに私の急な発言には目を丸くして驚いていましたが、すぐに笑顔に戻り快くOKを出してくれました。
自分のような1度会っただけの人間の無茶な頼みを引き受けてくれるなんて…
自分はますます彼のファンになりましたし、彼のような人物になりたいという思いを強くしました。
それからというもの、私は学校と両立して社長の下で働きました。
学校がない日は会社に出社。学校の日も空いている時間を全て利用してオフィスへ向かう。これまで勉強にもまともに身が入らなかった私ですが、彼との出会いで私の生活は劇的に変わりました。
私は興味がない事には全く興味を持つことができないのですが、興味がある事はトコトンやるタイプの人間だったようです(笑)
そして社長の下で働いているうちに、私はますます彼の生き方や働き方に惹かれていきました。
自分で会社を経営しながら生きる彼は本当に自由そのもの。そして何より、仕事を心から楽しむことが出来る人でした。
プロジェクトメンバーで集まって今後の会社の戦略について会議をしていたある日の事です。
会議は朝9時に始まりました。議論は盛り上がり、あっという間に時計はお昼の12時を過ぎていました。
そろそろお昼に向かうかな?と思ったのもつかの間、社長は12時になった事に気づく様子が全くありません。他のメンバーの中には空腹に耐えているような方もいましたが、社長が一生懸命会社と自分たちの今後について語っているのに自分から食事に行こうと言い出す事はできません。
結局その日の食事は夜となってしまったのですが、社長はそこでも会議の熱が冷めないのか再び議論を展開。
「この人どれだけ仕事が好きなんだよ…(笑)」
と思いながらも、単にお金を稼ぐための手段ではなく、働く事を全力で楽しむことが出来る彼に憧れたものです。
かといって仕事一辺倒の生活を送っているわけでもなく、遊ぶ時は全力で遊ぶ方でした。
カバン持ちにすぎない私を京都に連れて行ってくれて、そこで普通では絶対に体験できない「社長の休日」を経験しました。
当時一緒に働いていたメンバーを連れて、すべて社長持ちで先斗町で朝まで飲み歩きました。そして翌朝、その場にいる全員が疲労困憊していましたが、一人例外がいました。
「まだまだいくところはある!」その一言で、私たちはその日も1日中京都を観光し、また朝までお酒を飲み続けたのでした。このような経験は京都に限ったことではありません。社長のそばにいると、驚くことの連続で、私もいつかこんな生活をしてみたいと思ったものです。
そんな彼を1年間見続けてきた私が、彼のように「自由に生きたい。楽しく生きて、楽しく働きたい!」と思うようになったのは当然といえば当然でしょう。
そのためには自分で会社を作るのが一番だと自然に考えるようになりましたし、それが社長に対する恩返しのような気もしていました。
これまでは単位をとるためにいやいや勉強をしていた私ですが、1年間のカバン持ちを終えて目標を見つけた私は、自然と勉強に取り組むようになります。
これまでは授業に出ないことも多く、出たとしても一番後ろの席で授業もほとんど聞かずにすごしていたのですが、常に一番前の席で目を見開きながら授業を受けるようになりました。
そのおかげで成績も大きく向上。テスト前には友人だけでなく、名前も知らないような人も私のノートを借りるようになったほどです。そのせいか友人からは「なんか悪いものでも食べたか?」とひどい冗談まで言われる始末でした(笑)
また、学校以外でも勉強会やセミナーにも参加して知識を蓄えました。
どんな人が参加しているのかと背筋を伸ばして会場に足を踏み入れたら、父親くらいに年代のスーツを来たおじさん達が、一斉に私の方に視線を向けてきた事は今でも忘れられません。
私は参加者の中で唯一場違いな存在だった事は間違いないでしょう。しかし、私は自分から彼らに声をかけていき、少しでも自分の見聞を広めることに努めました。
最初は年代も違って話しかけづらいと思っていましたが、こちらから話しかけると若い人が珍しいのか、笑顔で応えてくれる方が多く、さらに色々と今自分がやっているビジネスを教えてくれる方もいました。
経営コンサルタントの方や、和菓子屋さんの経営者の方などなど、はじめて接する業種の方ばかりで、非常に有意義な時間を何度も過ごしたものです。
その結果として、私が1年間で知り合った人数は実に1000人以上。
こちらが私がもらった1000枚以上の名刺です。
彼らから得た知識や人生経験は普通の人ではまず手に入らないものですし、私の人生の中で非常に貴重な宝物だと考えています。そして彼らから学んだ知識や経験、読書で培った情報を自分の手帳にまとめていき自分だけのアイデア手帳を作っていきました。
その手帳の1番最初には、カバン持ちをさせてくれた社長からもらった言葉を記し、その手帳を毎日見返しては、自分の夢の実現を信じて疑いませんでした。
3.周囲に流され、夢を諦める
しかし、大学3年生も終わりに近づくと、周りの様子が徐々に変わり始めます。
何やら騒がしく、明らかにスーツで授業を受けている人の数が増えてきました。そう、就職活動の時期がやってきたのです。
友人たちが交わす会話も、自然と「○○の会社が募集を開始したらしい」とか、「××社の最終面接に進んだ」など就職活動に関するものが多くなってきました。
当時、起業する気で満々だった私は就職活動をする気はなかったのですが、友人の話についていくことができなくなり、次第に周りから取り残されるように。
最初は気にしていなかったのですが、そんな状態が数ヶ月も続くと、さすがの私も不安になってきました。ですが、当時の私のやっていたことは勉強会などに参加をしていたことくらいのもの。
そんなときにふと思ったのです。自分はこのまま夢を追い続けていてもいいのだろうかと。
友人は就職活動をして、会社に就職していく。そして、将来的には結婚して、幸せな家庭を持つのかもしれない。
しかし、私は一人で無謀な夢を追いかけているだけで、何もできていない。
起業をしたいという夢に逃げているだけではないのか…。
私にとってあまりにも無茶な夢なのではないかと…。
そう考えたときに自分の無謀さを感じました。
また、それまでは私のやることや進路に関して両親に何かをいわれたことはありませんでしたが、就職活動をせずに起業したいということを伝えたときのことです。
両親は初めは私が冗談を言っていると思ったようで、笑っていたのですが、私が本気だということを知ると、これまでにはない勢いで反対をされました。
「せっかく大学にいったのに、もったいない!」
「それなりの会社にはいって安定した生活を送るのが一番」
そのようなことをいわれました。
いうまでもなく、日本では新卒というものに大きな価値があります。
一度新卒でどこかしらの会社に採用されればある程度安定した生活が保障されています。ですが、そこでレールから外れてしまうと、復帰するのは至難の業です…。
両親が不安がるのも当然のことでしょう。
わざわざ大学にもいかせてもらって、就職もせずに卒業をしてしまっては、親に申し訳がない。
このままじゃ親の期待を裏切るどころか、もっともっと迷惑をかける結果となってしまうのではないか。
そんな思いがぬぐえませんでした。
そんな中でも周りの友人たちからは次々と内定をもらっているという声が耳に入ってきます。就職活動を終え、残りの大学生活をのびのびと過ごす友人たちからはゆとりのようなものが見えました。彼らは新しく始まる社会人生活にも希望を抱いているようにも見えました。
そんな彼らを見ているうちに、私はこんな風に思うようになりました。
彼らは私を見て笑っているのではないか?
心の中では夢を追いかけているだけの馬鹿なやつと思っているのではないか?
少なくとも当時の私にはそう感じられたのです。
そして、私は再び考え始めます。
無謀な夢を追うよりも、「普通の生活をを選んだほうがよいのではないか?」と。
そして、私はこれまでの思いに蓋をしました。
いつも参加していた勉強会にも顔を出すのをやめ、予約を入れていたセミナーなどもすべてキャンセル。
夢を諦めて、リクルートスーツに袖を通すことにしたのです。
自分で会社を持ち、自由に生きるという夢を押し殺し、私は就職活動用の自分を作り上げるていくことにしました。
(これが本当の自分?)
そこからは遅れを取り戻すために就職活動に取り組みました。カフェにこもっては朝から晩までエントリーシートを書き、学校の就職支援室を訪れては何度も何度も面接の練習の繰り返し。
ありもしない志望動機をつくりあげ、会社で目指したい姿と夢を自分に叩き込みました。
すると、不思議なもので自分が本当にそんな思いを持っているような気がしてくるんですね…。
そして、「就職活動生としての自分を演じきり」大学を卒業する目前で無事に内定を獲得。
春から会社で働くことの権利を手に入れました。
(お昼をゆっくり食べられないくらいには忙しいです笑)
晴れて社会人となった私は、一人前の社会人になれるようにと仕事に励みましたが、そこには夢も希望もありませんでした。
一日の半分以上は会社に拘束されて、特にやりたいわけでもない仕事を繰り返す。満員電車という名の棺おけに揺られて、会社は墓場にも見えました。
その繰り返しは数ヶ月で私は絶望させてくれました。
会社で働きながら、このまま会社にい続けたらどうなるのだろうかということを考えていました。
5年がんばったら、あの先輩みたいになれて、10年がんばったら、自分の上司みたいになれて、15年がんばったら、部長みたいになれるかもしれない…。
そう思ったときにまったく心が躍らなかったのです。それどころか、絶対にそうなりたくないという思いが強くなっていきました。
そうは思っていても、活路は見出せませんでした。「今会社を辞めたら生きていくことができなくなる。」「やめたところで何かできることはあるのだろうか?」
悶々とした毎日を送っていました。
そんなある休日。部屋を掃除しているときに、本棚に懐かしいものを見つけました。
それは、2年前につけていた、あの手帳でした。見つけたといっても、手帳はずっと前から目に入る位置にありました。
就職活動をするくらいから、私はその手帳を見ることを避けていたのです。その手帳を見てしまうと踏ん切りがつかなくなってしまうような気がするから。
ですが、そのときの私は違っていました。思い切って手帳を開きました。
そこには憧れの社長からの言葉、自分の夢と希望が当時のままで詰まっていました。
それを読んで、私はかつての気持ちを思い出したのです。
4.インターネットビジネスとの出会い
2年ぶりに手帳を見返したことをきっかけに、自分がどういうライフスタイルを送りたいのか、そのためには何をすればいいのか?ということを再び考え始めます。
手帳に書かれている、当時に書きとめたメモやアイデアを改めて見返しました。
今となっては、稚拙なアイデアや使えない情報なども多く、思わず自分の世間知らずっぷりに笑ってしまいましたが、そこに書かれた内容を読み返すだけで、当時のわくわく感が戻ってくるのを感じました。
そして自分で会社を持って自由に生きるという自分の夢を再び追いかけ始めることにしたのです。
これまでは仕事が終わった後も寄り道したり、お酒を飲んだりと、だらだらと時間を過ごしがちだったのですが、その日を境に行動を改めます。仕事が終わったらすぐに家に帰り、どうすれば理想に近づけるのかということを調べ続けました。
調べていくと、せどり、投資、FXなどなどそれらしい方法はいくつも見つかりました。
ですが、そのどれもどこかピンときませんでした。初期投資が必要なものや、あまりにもリスクが大きいもの、そして何よりも自分で楽しみながら仕事をして、会社作るという私の描いているイメージとどうもしっくり来なかったのです。
そんな中で私はFacebookで流れてきた広告に目を留めました。
そこにはインターネットビジネスとかかれてありました。
広告を読み進めての第一印象は「よくわからないし、なんだか胡散臭いな」という感じ。
ですが、調べていくうちに、いろんなことが分かってきました。
どうやら…
・若い人から年配の方まで年代を問わず実践している人がいる
・副業で実践して成果を出している人もいる
・空き時間に自分のペースで実践できる
・副業としてはじめてから、独立をした人もいる
これらの情報は私にとって非常に魅力的に映りました。
これらのことが本当なら、インターネットビジネスに取り組むことで自分の夢に近づけると強く思いました。副業としてはじめることができて、自分で会社を持って、自由に生きることができるかもしれない。
その思いを胸に私は2013年の12月にインターネットビジネスに参入しました。
3ヵ月後の2014年3月31日までには「ブログからの月収を10万円以上にする!」と目標を立てて。
そこからは文字通り、インターネットビジネス漬けの毎日が始まりました。
朝は7時にカフェに入り、ブログに記事を書いてから出社。仕事から帰ってきたら、30分で食事を急いで済ませ、寝るまでの時間ずっとパソコンと向かい合っていました。
かつて、インターン時代に仕事に取り組んだときのような充実した気持ちで作業をすることができました。私を突き動かす思いがあったからでしょう。
しかし、何事もそう簡単にはうまくいかないものです。
作業時間と比例して伸びるものと思っていた報酬もまったく集まらず…早くも壁にぶつかるのでした。(ちなみに、2013年12月の報酬は700円という非常に残念な結果に辟易したものでした笑。)
ですが、私には自分で会社をつくり、自由に生きたいという目的もありましたし、そのための目標(3月31日までに10万円)があったので、やれるところまでやってから判断しても遅くはないと思いながら、実践を続けていました。
仕事をしながらでも成果を出せるように、早寝早起きをして、毎日の作業時間を捻出しました。実践開始から3月31日まででパソコンを開かなかったことは体調不良と残業で時間が取れなかった数日以外にはありませんでした。
すると、そんな私でも本当に3ヶ月程度で10万円を稼ぐことができたのです。私はこの結果に希望を感じました。
確かに10万円という金額は確かに生計を立てるほど大きなものではありません。ですが、会社に拘束されてその我慢料として支払われる給料ではなく、初めて自分の力で生み出したお金です。
私はそのとき、自由への一歩を踏み出したのだと強く感じました。
私は恩師から、自由に生きることを学びました。紆余曲折ありましたが、その手段としてインターネットビジネスを選ぶことにしました。今では、インターネットビジネスは「自由な人生を手に入れる」ことができる手段だと確信しています。
確かに今はまだ月収10万円ほどしか稼ぐことができておらず、独立には程遠い金額です。しかし、月収50万円、月収100万円と伸ばしていく道筋は見えていますし、このまま継続していけば、自由な生活を手に入れることができることは確信しています。
そしていつかはかつて私がかばん持ちをさせてもらった社長のように楽しみながら仕事をして、遊ぶときは全力で遊ぶ自由な生き方を手に入れたいと思っています。
今このブログをご覧いただいている方の中にも、1年ほど前の私のように、日々代わり映えのしない毎日の中で、活路が見出せずに、苦しんでいる人がいるのではないかなと思っています。
私はそういう方にこそ、インターネットで収入を得ることができるということを伝えたいです。
私が人や情報との出会いで変わることができたように、今度は自分がそういった機会を提供するときだと思っていますし、それが私を導いてくれた社長への恩返しになると思っています。
あなたがもし今の生活に不満があったり、現状を変えたい!ということであれば、その力になりたいと思います。